-最も安全なダイビングの方法を提案します-


by dirtech

赤道の島、女王の船(後編)

スリランカの四半世紀は、民族対立と内戦の歴史である。1983年のシンハラ人とタミル人の民族紛争を契機に始まり、1987年、東北部を拠点とする反政府組織の「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE) が独立を宣言し、さらにシンハラの急進派「解放戦線」がそれに応じる形で内戦が拡大してゆく。いったんはノルウェーや日本の停戦仲介努力によって沈静化に向かおうとしたが、2006年7月、われわれが『ハーミス』の場所を特定したまさにその翌月、バッティカロア北方、かつて英国海軍軍港都市であったトリンコマリー南部の水路の支配権をめぐって政府軍とLTTEが交戦し、収束しかけた内戦が激化する。バッティカロアへの厳しい渡航制限を受け、われわれは『HMSハーミスⅠ』の探査プロジェクトを一度断念するほかなかった。結局、再燃した内戦は2009年の5月のLTTEの「戦闘放棄声明」まで続いた。

深夜にもかかわらず5月のバンダラナイケ国際空港 は熱い。成田から飛んだキヨ、ヤス、マサと私、シンガポールの乗り継ぎで合流したグレンの5人に、ほどなく名古屋セントレア空港から別ルートで出たダイサクが揃って、大量の荷物とともに入国審査を受ける。空港に近いネゴンボのホテルにはファーグとマイクが到着している筈だ。日付を超えた時間にホテルのチエックインを済ませ、すぐに冷たいシャワーを浴びた後、私は翌日の移動に備え、長旅で疲れた身体をシーツに滑り込ませた。ゆっくりと回転する天井のファンを見上げると、辛抱強く待ち続けた『ハーミス』探査プロジェクト再開までの時間を巻き戻すようかのように、彼女の沈んだ場所を特定した少し昔を思い出す。目の前に、ターコイズブルーの、柔らかく手触りの良いベルベットの海が広がる。熱帯特有の甘い香りの空気と、漆黒の闇から網戸を通して送られる優しい風であやされる赤ん坊のように、深い眠りに落ちた。

5月28日の朝、われわれ8人は2台のトヨタに分乗した。道路は未舗装で、ところどころ陥没した場所を避けながら、山岳道路のB9でビンナワラからダンブッラを越えてシギリヤを経由し、道端で売られる茹でたトウモロコシで空腹を満たし、グリーン・ココナッツのジュースで乾いた喉を潤し、石窟のある仏教徒の、極彩色の寺院で賑わうヒンドゥの、丸屋根の教会とコーランが響くモスレムの街々を抜け、草原が続くルートA11沿いを移動する野生の象、子連れのヒヒ、そして艶やかな孔雀の群れを眺める旅に出た。

スリランカでも辺境と言われるポロンナルワ以東の、内戦時に軍事輸送のために舗装され、良く整備された道路は、日本のODA の賜物だとドライバーに感謝される私を驚かせ、最近まで激しい戦闘が続いたことなど想像させない。西端から東海岸まで300km余りだが、2回の休憩と7時間以上をかけてスリランカを横断する、旺盛な好奇心を刺激する、しかし少しセンチメンタルな旅だ。

その日の夕刻、夕食にまだ十分に間に合う時間に、われわれは先発したサムとジュンが待つ、目的地のバッティカロアに到着した。バッティは、冴え冴えとした満月の夜に「唄う魚」が集まるという伝説が伝わるラグーンに囲まれた街である。ラグーンの外側には海に面した真っ白な砂浜が南北に延々と続く。痩せた長身の老齢の漁師が二人、まとめた投網を裸の肩にかけ、無表情に、ただ砕ける波を凝視して浜に立つ。夕暮れの打ち寄せる波に崩れる二人の細長いシルエットが、飽食の異国からやって来た私に、この最果ての地で生きる過酷さを理解するのに説明は必要ないだろうと語る。

早朝の倉庫兼作業場は賑やかで忙しい。プエルトガレラからガスミックスのためだけにやって来たジュンがコンプレッサーをバリバリ廻してカスケード・バンク に空気を貯め、ダイバーとボートマンを兼ねたスタッフがひっきりなしに出入する。床に落としたガス分析結果を記入してシリンダーに貼付けるためのダクトテープを、自分のデコ・シリンダーのリグ・キットを調整するドライバーを取りに歩き回るグレンが踏んづけ、マイクが俺のウィングのダンプ・バルヴのコードが切れたと騒ぎ、一つしかないヘリウム・アナライザーに順番待ちのダイバーが行列をつくる。そんな騒々しい場所を、装備を調整し終えた私は早々に抜け出し、別棟の簡素な食堂に向かった。時間を惜しんでパンケーキとセイロン茶、蜜 をかけた「ミーキリ」 だけの朝食を済ませる。サムのブリーフィングが始まる前に、食堂に持ち込んだ『HMSハーミスⅠ』の1/100縮尺の設計図を日本人ダイバーたちとともに確認しておきたかったのだ。今日から4日間でどのように「女王陛下の船」を攻略するか、大まかな構想を練った。皆に悟られないように、私は武者震いを隠し、はやる気持ちを抑えて静かに息を吐いた。

ブリーフィングを済ませた我々は、3隻の船外機付きヤマハ製グラスファイバー・ボートに分かれる。最初のボートはGPSを持ったコーディネーターのフェリとその兄が担当し、サム、マサ、ダイサクのチームが乗る。2号艇にはキヨ、ヤス、私の日本人、つまり“帝国海軍機動部隊。”そのボートマンは、ネゴンボからフェリとともに来た、“誠実”が舵を握っているような職人、漁師のラジだ。最後のボートには、ファーグ、グレンにマイクの“東洋艦隊”組だ。3艘のボートが競い合って快晴の海原を疾走する。船底が滑って時々船が跳ねる。船外機が空転する。膝を上手に使って着水のショックを逃がさねばならない。体中にワグナーの「ワルキューレの騎行」 が鳴り響く。30分ほどで前方に鳥山が見えた。1隻の同型の漁船がGTを釣り上げて取込んでいる。まだ距離があるが、それほど大型の獲物だ。減速したフェリのボートが、アンカーを投げ込んで潜降ラインを設置しようと試みる。

ラジが大きく面舵を切って船を遠い潮上に移動させ、私たちに準備をするように目で合図を送った。呼吸ガスにトライミックス21/35を詰めた80cfのアルミ製ダブル・シリンダーと、同サイズのシリンダーに、それぞれナイトロックス50と酸素を充填した2種類のデコ・シリンダーを装備し、ボート上でいつものように、ガスのフロー・チェックと一連のセーフティ・ドリルを行なう。予備のスプール、SMB、マスクとサブライト、2本のナイフ、プライマリーのキャニスター・ライト、減圧プランと各自の役割を再度確認する。40度を超える炎天下で、吹き出す汗が頂点に達した時、ラジの2度目の合図が出た。われわれは4本のシリンダーの重さに身を任せて群青のインド洋に落下した。

ヘッド・ファーストで潜降を続け、互いにバブル・チェックし、プライマリー・ライトをオンにする。“限りなく透明に近いブルー” のすぐ眼下には、船底と左舷を白いソフトコーラルで覆われた『女王陛下のハーミス』が見える。デカイ!特長のあるアイランド・ブリッジが左舷の水底に伸びる。GTの大群が湧き上がり、すぐに取り巻かれて歓迎を受けた。表現不能の感慨で胸が震える。2004年にプロジェクトを計画して以来、この瞬間を6年も待ったのだ。『ハーミスⅠ』の右舷側後部に降りたわれわれ3人は、躊躇なく横倒しになったブリッジ後方の、水面に向かって直立する14センチ速射砲を目指した。

5月29日の朝食後、いよいよペネトレーションのための入念な打ち合わせを9人のダイバー全員で行なった。ひと世代前とは言え、敵と味方に分かれ、『HMSハーミスⅠ』を生んだ英国人と、その女王の船を一瞬のうちに沈めた艦上爆撃機を送り出した空母「赤城」と「飛龍」の国の人間が、ひとつのテーブルを囲み、同じ目標を持つチームとして集束してゆく。彼女の設計図を挟んで、不思議な時間と空間があった。そこには、敵でも味方でもない、勝った国も負けた国もない、そんな矮小さなどを超越した、ただ純粋に、インド洋の水深53mに70年間眠り続ける『ハーミス』という世界初の空母に潜入するという、リスクの高いダイビングを成功させるために統合された“ザ・チーム”がいた。

3回目の潜降の途中、先にラインを張り終えたサムのチームが、浮上を始めるのが見える。すれ違いながらOKサインを交わし、予定通りに作業が進んだことを確認する。入口にしたアイランド・ブリッジの下に2本のデコ・シリンダーをステージ する。バッティカロア周辺にいるダイバーは、われわれしかいない。したがって手間を省いたのだろう、サムが張ったプライマリー・ラインは船外から直接、第2甲板の中に消えているのが見える。残圧を確認し、ターン・プレッシャーを暗算して互いにサインを送る。私は入口で一瞬止まり、目を閉じて頭を垂れた。ひと呼吸し、先行して中に入る。キヨを挟んだ縦列フォーメーションでヤスが最後に潜入する。第2甲板の通路の天井を下に見てラインは右に折れ、奥に続く。シルト・アウトしないように慎重に進むと、ライトに照らさた左手に2個の白いボウルが見えた、いや、ボウルではない。「女王の船」と最後をともにした乗員の頭骨だ。“ギョッ”とはしたが息は弾んでいない。条件反射するように、改めて黙祷する。ティー・スプーンと大きな靴底を越えてラインは奥に消える。しばらくフィンガー・クロールだけで移動すると、仮止めした400フィートのリールがぶら下がっている。後ろの2人にライト・シグナルを送り、リールを左手で取り、さらに前進した。20mほど先のバスタブまで来て、そこでタイムアウトする。この一つ下の階層に、当面の目標とした「楽器庫」がある筈だ。リールを留めて反転し、ヤスを先頭に出口 に戻る。こうしてわれわれは4日間で延べ18回のペネトレーションを試みた。残念ながら、この探査ダイブで楽器を見たものはいなかったが、しかし誰も本気で残念だとは思っていない。なぜなら、それが再び『女王陛下のハーミス』に戻る立派な理由になるからだ。

予定のダイビングを全て終え、全員で記念写真を撮った後、ラジに「唄う魚」のことを訊ねてみた。「唄う魚」たちは、26年続いた内戦の激化と家族を失い離散する人々の増加とともに、今ではどんなに美しく澄んだ満月の夜になっても、もう唄うことはないと言う。

私たちは、この文明の過剰の時代に生きて、本当に幸せになったのだろうか。人間の欲望の再生産が進歩と文明を生んだという説に異議を唱えるつもりはないが、それから得たものと引き換えに、失ったものも多い。大深度のレック・ペネトレーション・ダイブのために、東京、マニラ、香港、ロンドンから、この最果ての地までやってくるわれわれもまた、文明の過剰な時代の共犯者だ。

スリランカの平和な時代が長く続き、冴え渡る満月の夜には、「唄う魚」たちがまたバッティカロアのラグーンに戻ることを願い、私は平穏な日常に戻る旅仕度を整えた。

(※月刊ダイバー2013年5月号「世界レック遺産5」の寄稿原稿の原文です)
[PR]
by dirtech | 2013-08-09 19:37 | "快刀乱麻"